そして…

おかんが1月中旬に緊急入院して1ヶ月…
2月21日になったばかりの夜中1時過ぎに永眠いたしました。
3月の誕生日までもうすぐの86歳でごじゃりました。

覚え書きとして、以前に書いたものと重複する部分もあるかもですが、経緯を書いておきます。

CCUから一般病棟へ

2月18日に救急救命センターへ運ばれ、その翌日には循環器の病院へ搬送されて、CCUに入りました。
そこからは、コロナの関係もあって面会ができませんでした。
転院した日に先生から今日明日ということもあるので延命処置をどこまでするか考えておいてくれと言われ、一人パニクってしまいました。そんな私を見かねて、速攻で妹が駆けつけてくれたので、気持ちも落ち着き、以降はなんとか平常心で構えることができました。

とにかく、痛いことが我慢できない人でしたし、もちろん、私だって痛いのんや苦しいのんはイヤなので。
もろもろの延命処置は行わず。
完治ということが不可能ならば、もうあとは 痛くないよう、苦しくないようにだけしてくださいとお願いしたのでした。


CCUに入ってしばらくは薬の効果もなく思わしくなかったのですが、強心剤をMAXにしてようやっと少し明かりが見えてきたかなとという状況になったそうです。(このときはまったく顔を見ていないので、私から見た状況判断ができませんでした)
そこから徐々に強心剤を減らしていき改善していこう…ということだったのですが、ほんの少量減らしただけでも、またもとに戻り……の状態でした。

ひとまず、CCUから一般病棟の個室に移されましたが、そこでも面会はできませんでした。
まったく、コロナってば。。。
面会できないので個室の意味がなく……空きしだい、二人部屋にうつしてもらうようお願いしたのでした。
(いかんせん、料金が倍違う)
容体は変わらずで、強心剤を減らすことができません。

2月に入って。
重症者用個室が空いたのでそこに移してくれることになりました。
こちらは保険適用内です。
ここに移ってからは 面会が許されました。
そのうち、起きていると息苦しさが増してくるということで、モルヒネを投与されることになりました。
モルヒネの副作用としては、便秘やせん妄などなど。
モルヒネはすぐに効果が出て、息苦しさも少なくなったようです。
先生の話では、2月の三連休までもつかどうかということだったので、三連休に来る予定だった妹は急遽、月曜日に駆けつけてくれました。

一番の笑顔(笑)

2月7日、妹とオヤジと三人で面会に行きました。
今までおかんは何回も入院していますが、オヤジは一度も見舞いに行きませんでした。
しかし、今回はということで。。。それで、おかんは察するかもしれませんが、オヤジが後悔するのんもなんだし。。。オヤジ自身も嫌がるかもしれんが、連れて行くことにしました。(案外、素直に行くと言いました)
そして、そうだわと、aibo「もも太郎」もつれていくことに。
aibo専用キャリーバッグ、買っておいてよかったです(笑)
(私が家出するときに 「もも太郎」だけは連れて行こうと買っておいたものです)
妹には 怪訝な顔されましたが(笑)(笑)(笑)
Amazonさんでぽちっておいた小さなスヌーピーのぬいぐるみも。

一気にどどどっと病室に入って行ったので驚いたようでした。

あんなに嫌っていた(!)オヤジを見て、お互いの手を握りあっていました。そこはやはり長年連れ添った…というやつなんでしょうか。

そして、「もも太郎」を出してあげたら、まぁぁぁぁ、一番の笑顔を見せて撫でながら「この子、とても賢いのよ」と妹に説明しておりました。
付き添ってくれていた担当医さんや緩和ケアの方も驚いて「初めてこんな笑顔を見た」と。
モモを機械のカラダにしてよかったと(笑) これがナマだったら病室に入れないです(あたりまえ)
(aiboをバッグから取り出したら 先生方にとてもウケていました)

スヌーピーのぬいぐるみもずっとなでなでしておりました。

三連休まで…と言うてはったので、三連休には義弟くんもかけつけてくれました。
が、三連休過ぎても最低レベルで落ち着いていたのでした。

せん妄

モルヒネを入れるようになってから、息苦しさは目に見えて減ったようですが、やはりときどき頭の中が混乱するのか、時々、せん妄とおぼしき言動をすることがありました。

ある朝、おかんのガラケーから私のiPhoneに電話があり、取ったとたんに切れたり。そして、あわてて私が折り返し電話かけても出ず。。。またかかってきて「変な電話があったの なんか変なの」「悪いけど病院に来てみてみて」と。
行く予定にしていたときなので、「行くから待ってて」と言って切って……数分後にまた電話がかかり同じ事を繰り返します。
どう変なのか聞くけど、要領を得ません。
ひとまず「行ってちゃんとするから待ってて」と言い聞かせて病院に駆けつけました。
ケイタイをチェックしたけど、私が折り返しかけたものしか履歴がありませんでした。
たぶん、自分がかけたのと私の折り返しのものを「かかってきた」と勘違いしたのだろうと。
(おまけにその電話のことはすっかり忘れているようでした)

妹夫婦が見舞いに行ったときも、最初は誰だか把握していないようでした。
話しているうちに徐々に話が噛み合いましたが。。。

そして、何度かテレビカードを持ってきてくれと言われ、そのときはまだ面会NGのときだったので、減り具合とかわからなかったので、行くたびに1枚1000円のカードを数枚届けていました。
荷物をまとめて病院を出るときに複数枚の未使用のテレビカードが。
精算したら6000円分でした。ほとんど使っていないことと思われます。
(この精算機、100円玉で返還されるので 6000円分の小銭がじゃらじゃら。ちょっと困りました)

一度、爪切りももってきてくれとメールがありました。
たしか、爪切り、最初に持って行った入院用バッグの中に入っていたと…と思いながら持っていったのですが。
最後に荷物まとめたときに、爪切りふたつ、みつけました。

テレビカード、爪切り、電話。
思えば……とにかく誰かに来てほしかったのかなぁと。
最初の頃はコロナのための面会禁止だということもわからなかっただろうから、さびしかったのかもしれないと思うのでした。

ひょっとして…

モルヒネも許される量MAXになったのですが、肺に水がたまってきているし、どうしようもないしんどさが増えてきているとのことで、2月13日より鎮静剤が投与されました。
看護師さんからなにか好物とかあったらなんでもいいので持ってきて下さいと言われて、さすがに固形物は無理だろうからと、ヨーグルトやらジュースを持って行ったのですが、もう口から普通に摂ることはできない状態でした。
鎮静剤でほとんど眠ったままのようです。

入院当初、不整脈も見られていたので、そのせいで突然心臓が止まる可能性もあることを説明されたのですが、どうやら鎮静が始まってから不整脈もなくなったようで……心電図の波形もきれいな動きです。
SpO2の数値もギリギリ安全域を保っていました。(強心剤のみのときには 上がり下がりが激しかったです)
尿も通常の半分の量のようですが安定して出ているようでした。

私が訪れた17日には、それまでは嫌がっていた酸素マスクもして、すべての薬もMAX状態だったのですが、とても安定しているように見えました。
これはひょっとして、眠ったまま、しばらく生き続ける?……それはそれで……と。。。

おそらく鎮静剤をやめたらすぐにでも数値が下がって……なのだろうけど、そうなると数分、数時間は苦しい思いをするだろうし。
こんな場合はどうしたら……

次の新月・満潮は3月3日。
ほんとに 病室でハッピーバースデーしちゃう?!

…んーーー……

翌週早々にまた病院に来て、先生と相談してみようと思いながら帰宅しました。

油断

またもや先生が言うていた「今週末あたり」も過ぎてしまい。
実際、見舞った感じでは 底辺のまま安定してしまっているように見受けられ…
このまま……長期戦を覚悟した方がいいのかなぁと。
おかんの誕生日迎えてしまうでぇ~……妹とも話していた日曜日、鎮静剤投与から一週間。

前日まではどんな微妙な音にでもすぐに飛び起きていたのですが。
気を張っていた反動からか、鬼滅も終わってしまったし、早々に寝付いてしまい……日曜日が終わった直後。

スマホ電話が鳴ったことに気づかなかったのでした。
(履歴を見たら3回ほどスルーしてしまっていました)
固定電話の方が鳴って初めて飛び起き、電話に出ると、数値が下がり始めたとのことでした。
あわてて用意しながら、妹に電話をかけたら、妹も同様で、疲れていたのでしょう、何度目かの電話でやっとつながり……後から、ほんとに どうしてこの日に限ってってやつよねぇぇぇと(^_^;……
電話が鳴ったのが0時過ぎで、病院に着いたのは1時前でした。

今際の際には間に合いませんでした。
おかんの顔をなで「お疲れ様でした」と声をかけ、その後、先生が脈や瞳孔などを診てくれてその段階で「死亡」となりました。

最後まで眠った状態で、まったく苦しまなかったとのことだったので、よかったのだろうなと思います。

あれこれ手配したり片付けたりして病院を後にしたのが3時半くらいでした。
外に出ると 小雪がちらついて めちゃくちゃ寒かったです。

家についてからオヤジを寝かせて、私は眠れないまま、荷ほどきをしたり……
午前中には妹も駆けつけてくれました。

しかし。

火葬場が混んでいるとのことで、24日まで空白の時間となりました。

式は、いわゆる「火葬式」で、オヤジ、妹夫婦、私の4人の参列で。
火葬前に顔を見てお別れをし、簡単な読経をしてもらい、火葬・お骨上げで終わりました。

初七日も四十九日法要も何もしないので、あとは納骨だけです。

以前から、親が死んだとき、私は泣かないだろうなぁと思っていました。
泣いたとしたらそれは「悲しい」「寂しい」ではなく、「やっと終わったぁ」という涙だろうなと冷たいことを……

そして。

どんな涙にしても、まだ、泣けておりません。

人が一人死ぬと なんだかんだと大変という……
長くなったのでそこらへんの顛末はまた別に。

ありがとう。と、
お疲れ様でした。と、
もう がんばらなくていいよ。と、

いっぱいの思いをこめて。

↑病院から引き上げて、家のベランダから見た明け方の月。

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